はじめまして、りょうです。
自己紹介と、このブログの理念についてお話しします。
僕は今、都内で会社員として働きながら
副業でネットビジネスをしています。
2020年8月の現在は35歳です。
本業は、創業間もないスタートアップ企業の営業です。
副業のネットビジネスでは、
自動収益化の仕組みを学び始めて、
約1ヶ月で6万5千円の収益が出ました。
ネットビジネスで稼ぐための
正しい知識と正しいやり方に出会えたので、
あとはまっしぐらに、
学びと実践を繰り返して
収益を上げていけばいい状態です。
ネットビジネスを始めてからは、
これまで自分が知らなかった、
ネットビジネスの世界の人たちの
存在を知ったり、交流する機会も出てきました。
月収400万円の方、副業で月収が100万円の方、
中学生で月収1000万円の方、年収数億円の方など。
ネットビジネスは不労所得で収益があがるので、
お金と時間の自由な生活が手に入ります。
寝ていても遊んでいても収益があがるし増えていく。
24時間365日を自由に使える。
好きなことを好きなだけできて、
自由な人生を謳歌できる生活です。
実際にこんな生活ができます。
・思いつきですぐに北海道にも沖縄にも海外にも行ける。
・高級料理店でいつでも美味しいものを好きなだけ食べられる。
・目覚ましなしで好きな時間に起きられる。
・満員電車に乗る必要がなく、ほとんどの移動がタクシー。
・人間関係のストレスがフリーで、好きな人とだけ付き合える。
・暇すぎてむしろビジネスをしたくなる。
・月に30冊以上も本を読めるから、知識がどんどん増えていくし、
得た知識をビジネスに使って収益が上がる。
・英会話を短期集中のマンツーマンレッスンで習得して
ビジネスに使って収益が上がる。
・年収数千万円〜数億円の経営者仲間がたくさん出来て日々交流するので、
かまえて勉強しなくてもビジネス知識が増えて収益が上がる。
・お客さんに価値提供するので、感謝されつつ、一緒に人生をよくしていける。
これが当たり前の日常になります。
こんな世界があるなんて
ネットビジネスと出会うまでは
想像もしていませんでした。
でも実は、
こういう生活をしている方々は、
たくさんいます。
(もっと早く知りたかったです)
(お金を稼ぐとは会社員でいることだという、
狭い価値観の中で自分が生きてきたことを思い知りました)
僕は、
同じ状態を目指して、
月収400万円の起業家の方から
直接ネットビジネスを学んでいます。
ネットビジネスで月200万円くらい稼ぐまでは才能は不要で、
いかに正しい知識を身につけて、いかに正しいやり方で実践するか、
そして結果が出るまで諦めずに続けられるかが重要です。
続ければ結果が出るとわかっているので、
今とても楽しく学びと実践を進められています。
僕は、
お金と時間が自由になったら、
例えばこんな生活をしたいです。
・家族との時間を大事にしたい。
日常生活も遊びも家族を第一に過ごしたい。
子供と四六時中一緒にいて成長を近くで見ていたい。
・好きなことを思うがままにやりたい。
音楽制作に朝から晩まで没頭して、納得のいく曲を作って、
ライブ活動をしたい。
・愛のある人でいたい。
心に余裕があって、相手のことをしっかり見て
接することができる人でいたい。
まだまだ他にもやりたいことは
いっぱい溢れ出てきます。
僕は、今でこそ希望のある毎日を過ごしていますが、
もともと鈍臭くて何をやっても人並み以下だったから、
自分に自信がありませんでした。
自分を成長させられれば、
自信が手に入るのかなと思い、
そういう環境を選んできました。
実際に成長している実感もありました。
でも、違いました。
自分が本当にやりたいと思ったことじゃないから、
成長しても自信は手に入りませんでした。
だから、
人生には閉塞感しか感じられませんでした。
こんな人生から抜け出すために、
自分に嘘をつくのはやめようと思いました。
そんな時に、
ネットビジネスと出会い、
人生に希望を感じました。
「自分の人生を自分のために生きたい」
人は、自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦した時に
自信を持てて、
結果、人生が楽しくなっていくと思っています。
このブログのコンセプトは、
人が自分の人生を自分のために生きられるきっかけを作ること。
読んで下さった人が、
少しでも
自分の人生を取り戻せることを目指して
情報発信をしています。
そのために必要なのは、
時間を切り売りして労働しなくても、
不労所得で自動的にいつでも
お金を稼ぐことができる仕組みを構築すること。
お金を稼ぐ仕組みを構築できれば、
好きなことに時間も使えて、
体調管理も適切にできて、
心に余裕も生まれて、
人にも優しくなれます。
自分の人生を自分のために生きられます。
僕は、自分の人生に希望を感じられず、何のために生きているんだろう、
この先この生活が何十年も続くと思うと苦しいなと閉塞感を感じて過ごしていました。
そんな時にネットビジネスと出会って、自分の人生に希望を見出せました。
人生捨てたもんじゃないなと思えました。
僕と同じ様に、生きる意味を見出せずにもがいている人たちに、
希望を届けたいと思いました。
みんなが幸せな方が、自分もみんなも幸せを感じられると思います。
このブログでは、
僕の経験や、
尊敬する人たちから学んだ、
本当の意味で、
自分の人生を自分のために生きられる方法
について情報発信していきます。
ぜひご興味ある記事からどんどん読んで頂けると嬉しいです。
僕がこの様な情報発信の活動をする上で、
僕の過去の経歴を共有しておくと、
よりご理解しやすくなると思います。
なので、僕の過去の経歴と、
目指すものについて共有させてください。
—–りょうの物語—–
僕は、
小学校、中学校、高校、大学、会社員時代まで、
常に自信が持てず、自信を持つための方法を探して生きてきました。
目次
小学生・中学生〜運動神経が悪いこと、若白髪をバカにされて自信が持てない
子供の頃の僕は、
運動神経が悪いこと、
若白髪があることにコンプレックスを抱えていて、
自信がなく、大人しく、
人とコミュニケーションをとることが苦手でした。
小学生の時に加入していた少年野球チームでは、
加入してすぐから
「りょう = 足が遅い」と認識され、
鈍足トリオの1人として扱われました。
一番辛かったのは、
トーナメント方式の少年野球大会の時。
自分のチームの攻撃で、
1塁ランナーとして出塁しました。
監督からのサインを見て、
「お、盗塁のサインか、走るぞ。」
全速力で走る。
「アウトー!!!」
鈍足の僕は、当然のごとく盗塁に失敗してアウトになりました。
監督は怒っていました。
そして言われた一言が、
「足の遅いお前に盗塁なんてさせるわけないだろ!!」
たしかにそうだ、
僕は足が遅いんだ。
盗塁して成功するわけがないんだった。
チームメートからの優しい声がけもありませんでした。
当然です。
このプレーのせいで試合に負けてトーナメントで敗退したのですから。
人生で初めてだったと思います。
取り返しのつかないことをしてしまったと感じたのは。
悔やんでも悔やみきれませんでした。
帰りの車の中では一言も発さずに
窓の外を見ながら放心状態。
家に帰ってからも
部屋に閉じこもって出られませんでした。
それだけではありません。
他の試合では、
守備の時に、コロコロっと転がってきたボールを取り損なって、
ボールが股の間を抜けて、ボールを後ろにそらしてしまう、
通称股抜けをすることもありました。
いつもそんなだから、
守備の時はずっと
「ボールが飛んで来ませんように」
と願っていました。
「なんで他の人が簡単にやっていることが、自分にはできないんだろう」
自信がありませんでした。
そんな自分が嫌でした。
何か他に誰にも負けないことや好きなことがあればよかったのですが、
そんなことは何一つありませんでした。
中学生になってからも変わりませんでした。
懲りずに野球部に入りました。
万年補欠。
代打で出場させてもらっても、
だいたい三振で即交代。
自主トレーニングで、
バットを振る練習をしたり、
バッティングセンターに行って練習をしたり、
壁にボールを投げて跳ね返ってくるボールを取る練習をしたり、
練習しているのに全然上手くならない。
3年間でヒットを打ったのは1回だけ。
でも、
せっかくのヒットを打ったその日は、
守備で股抜けをしてしまいました。
小学生の時から成長なしですね。
その上、若白髪が多くて、
「白髪抜いてやろうか」
とバカにされていたのもあって、
それはそれは自信がなかった。
これ、
知らない生徒からも通りすがりに言われていたんです。
人間不信になりますよね。
思春期も重なり、
自意識過剰だったのか、
同級生からも先輩後輩からも常にバカにされている気がして、
他人の目を気にして過ごしていました。
「なんでみんな楽しそうに過ごせているんだろう」
「なんで自分はみんなの様に楽しく過ごせないんだろう」
こんな小中学校時代だったから、
自信がなく、大人しく、
人とコミュニケーションをとることが苦手でした。
自己主張も出来ないし、
嫌われないようにと
周りに合わせてばかりいる様になりました。
そんなことを続けていたら、
感情を表に出せない面白味のない人間になっていきます。
そんな当時でも、唯一の救いがありました。
1990年代の音楽業界バブルです。
CDが100万枚以上売れるのが当たり前で、TVの音楽番組が多かった時代です。
僕もかじりつくようにTVの音楽番組を見ていました。
個性があってキラキラ輝く
自信に満ち溢れたミュージシャン達を見て
「こんな世界があるのか」
と勇気をもらえました。
ちょうどその頃、
同級生の目立つヤンキー生徒がバンドをやっているのを見て
羨ましかったし憧れた。
「バンドをやりたい」
そして、人生で初めての受験勉強が始まります。
「今の地味な自分のことを知っている人がいない高校に行きたい」
「そこでバンドをやりたい」
そうしたら自信のある人間になれるんじゃないか。
周りにはそんなことを思っているなんて言いませんでしたが、
その一心で受験勉強をしました。
今の自分の状況を変えたい気持ちを原動力に必死で勉強して、
第一志望の高校に進学しました。
高校生〜自分のやりたいことをやって自信を持てると人生が楽しくなるという気付き
高校生になって軽音楽部に入り、
念願だったバンド活動を開始しました。
初めて自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦しました。
ドラム担当になりました。
好きな有名バンドの曲をバンドで練習して、
憧れていたライブをして、
メンバーとの仲も深まっていき、
楽しい毎日です。
(本当に楽しかった。今振り返っても、充実していたなと思います。)
いつしか僕は、徐々に感情を表に出して、
自己主張できる様になっていきました。
(中学生までの僕は自己主張できないし、感情を表に出せなかったのに)
僕「俺はこれをやったほうが良いと思うよ」
メンバー「そうだね、りょうの言う通りだね」
自分の主張を受け入れてもらえると少しずつ自信も付いていきました。
周りからの見られ方も、
自分の行動も変わっていきます。
学内イベントで目立つ役回りを求められました。
自信のない自分の名残からか、最初は断ったのですが、
こんな機会は滅多にないからと思い直してやることにしました。
全学年が参加する学内イベントで、
200人くらいの組織の長でした。
そんなことはやったことがなかったけれど、
「やれば出来るんじゃないか」
「面白そうだし」
と、思考もポジティブに変わっていました。
組織のメンバーには、
「楽しんでね」
と声かけして回ったりして。
(当時は、楽しむことが第一という思考でした)
結果は大成功で、
「りょうってこんなことも出来るタイプだったんだね」
と周りから驚かれました。
他には、
卒業イベントを主催しました。
ライブハウスを貸し切って、
全学年から200人くらい集客して、
バンドやダンスのパフォーマンスをするイベントでした。
主催者として多岐に渡って行動しました。
会場探し。
全学年の各クラスに回って教壇で説明したり、
ポスターを作って校内に貼って告知して集客活動。
演者の募集活動。
タイムテーブルの組み立て。
当日はトラブルで演者が遅刻した際のタイムテーブルの組み替えや内部調整。
トリのバンドとしての出演。
などなど
大盛り上がりだったし、
大成功でした。
「達成感もすごかったし、楽しかった」
人って、人生って、こうも変わるものなんですね。
「自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦した時に
自信を持てて、
結果、人生が楽しくなっていくんだ」
このことを高校生活で学びました。
(本当に楽しい高校生活でした)
「高校を卒業してもバンドを続けたい」
と思いました。
バンドを続けていくとなると、
自分たちで曲作りをするという新しい挑戦が始まります。
大学生〜せっかく得た自信を喪失して迷走、やりたいことが定まらない
大学生になって、
自分のバンドで作った曲をライブで演奏し始めました。
このバンドで、このメンバーでプロになりたい。
そう思って無我夢中で練習しました。
ほとんど毎日だったと思います。
ずっとドラムを練習していました。
自ずとドラムの腕は上達していきました。
ドラムの練習と並行して、
曲作りの勉強もして曲を作りました。
けれど、
そんなに簡単に良い曲が作れるわけでもありませんでした。
思う様にバンド活動が進まず、気持ちだけが空回りして焦って、
しかもメンバーはバラバラの環境での生活になっていたので、
心も離れていっていたのかもしれません。
大学入学後1年くらいで、
メンバーの1人から呼び出されました。
2人でカフェで話をしました。
「バンドを辞めたい」
そう言われました。
「他の人に言うと殴られそうだから、
先にりょうに伝えたかった」
って。
「そうか、しょうがないね」
って平然と聞いてはいたけれど、
その日は家に帰ってから部屋に籠って1人で大泣きしました。
「なんでだよ」
って。
これをきっかけにしてバンドは解散。
そのメンバー以外の人とバンドをやってもしょうがない
って思っていたから。
そして僕の自信も喪失しました。
そのバンドを辞めた後は、
自分のやりたいこと、
やるべきことを探して
迷走の日々です。
なにせそれまで
そのバンドをやることしか考えていなかったから。
目標を見失って、
何に時間を使おうかと悩んだあげく、
目に見える結果やスキルを身に付けようと思いました。
「世の中は外交で回っているんだ」と言って
公務員試験予備校で勉強を始めてみたり。
「環境問題を解決したい」
「環境先進国はドイツだし、
希少価値のあるスキルだろう」と言って
ドイツ語の勉強を始めてみたり。
「今の時代だと当然のスキルだろう」と言って
英会話スクールで勉強を始めてみたり。
結局どの勉強も途中で投げ出してしまいました。
その当時、新しいバンドに誘われても、
「自分には勉強があるからバンドはやれない」
と言って断っていたくせに。
(今振り返ると、もったいない時間とお金の使い方をしてしまったなと思います)
そんな風に迷走しているうちに、
就職活動をする時期が来てしまいました。
そんな生活だったから、
また自信のない状態に戻っていたし、
アピールポイントもないし、
どんな仕事をやりたいのかも定まらなかった。
少しでも興味を持てた企業には応募して、
就職活動を進めましたが、
どの企業もあっけなく不採用。
迷走しているうちに時だけが過ぎ、
すでに多くの企業の採用活動が終了していました。
「あいつあの有名企業から内定出たってよ」
「こことここから内定出たけれど、どっちを選ぼうかな」
そんな同級生の話ばかり耳に入ってきて、
「僕の人生はどうなっていくんだろうか」
という不安な思いの中、
就職活動を続けていきました。
そして、
ググるという言葉さえも知らなかった
当時の僕とは無縁のIT業界でしたが、
まだ採用活動を継続していた数少ない企業の中から、
IT業界のベンチャー企業から内定をもらって
就職することになりました。
ITベンチャー企業時代〜仕事の面白さに目覚めて順調、でも自信が持てない
バンドの時の様な、
これがやりたいんだという自分の意思もなく入社した
IT業界のベンチャー企業でしたが、
日本有数のオシャレタウンにある
高層ビルのオフィスに毎日通えることが嬉しかったし、
入社式で初めて見た自社サービスのITツールには、
ワクワクドキドキした。
例えるなら、
初めてSkypeを使った時の様な
ワクワクドキドキ。
「ITってすごいな」
「こんなことが出来るんだ」
「こんな世界があるのか」
営業としてお客様に自社ITツールの紹介をすると、
毎回決まって
「すごーい」
「最先端ですね」
と言われるし。
グローバル展開もしていたので、
社内では英語も飛び交っているし。
まだ社会に広まっていないけれど、
確実に必要とされていることが実感できる
ITツールを広めていけることに
誇りと期待でいっぱいでした。
そんな仕事に意義を見出せて、
一心不乱に仕事に打ち込みました。
朝の出社はほぼ一番乗りの7時出社。
会社を退社するのはほぼ最後で、23時以降。
帰宅後も家で仕事をして翌朝も7時出社。
土日祝日も朝からカフェで仕事をして上司からの連絡には即返事。
文字通り四六時中仕事。
上司からは、
「自分に厳しい」
「完璧主義」
「りょうに任せておけば大丈夫」
と言われていました。
営業チームを任されていた時は、
チームメンバーと切磋琢磨して、
どうやったら新規顧客を見つけられるか、
どんな提案をしたらいいか
などを考えながら、
自分たちで新しい道を開拓しているんだという想いで
無我夢中で仕事をしていました。
結果もついてきていました。
個人としては年間の全社MVPを受賞したり、
チーム全員が営業数字の目標を達成出来たりと。
でも。。
この会社の中では評価が良くても、
他の会社でも通用するとは思えなかった。
そして、
あまりビジネススキル面での成長を感じられなくなっていたし、
自分がこの先どうなりたいのかも見えなくなっていました。
一見順調そうでも、
自信を持てていたわけではなかったんです。
そんな矢先に、
お付き合いのあった大手企業から声をかけてもらいました。
「うちの会社で働くことに興味はありませんか?」
大手企業に対して漠然とした憧れはありました。
大手企業なら、
・優秀な社員が多いだろう
・周りの社員のスキルもセンスも高いだろう
・人としても優れた社員が多いだろう
・勉強になることばかりだろう
・自分を成長させられるだろう
・安定もしているだろう
大手企業でなら成長できそうだから自信も持てそうだ。
「大手企業に行ってみたい」
声をかけてもらったとは言え、
選考はあったので、対策をして、
無事受かり入社しました。
大手企業時代〜安定も自信も手に入れられずに8ヶ月で退職
誰もが知っている様な、
業界トップの大手企業。
社員数5万人。
これで安定も自信も手に入れられたかの様に思いました。
だけれど。。。
大手企業こそ沼だった。
入社して2ヶ月足らずで気が付いた。
「間違えたかも」
って。
社内はこんな感じでした。
これが俗にいう
・社内政治か
・忖度か
・パワハラか
・嘘や見栄や嫉妬が横行している
・窓際社員もいる
・古くからの慣習が多いから効率が悪い無駄が多い
・やりたくない仕事をやることが当たり前の風潮
「なんかTVで見たことがある…日本社会の縮図だ」
カルチャーショックでした。
これまで20代、30代の若い社員が中心だった
IT業界のベンチャー企業を経験していた僕にとっては、
ギャップが激し過ぎた。
上司からは、
「こんな会社に来て人生終わったね」
と言われた。
誘って来た当の本人である上司から。
心の行き場がなくて、辛くて、
仕事の途中で会社を抜け出して、
あてもなく歩き回って、
公園で1人泣くのを堪えた。
そのさらに上の、定年を数年後に控えた上司は、
「仕事で一番面白かったのは新入社員の時」
と言っていた。
社員の表情を見れば分かる。
今の人生に満足していない、けれど諦めている様に感じる表情だった。
ここにいると徐々にこういう表情になっていくのかな。
決して全社員がそういう表情なわけではないのだけれど。
聞いた話によると、
日本の大手企業には少なからずこんな感じのところがあるらしい。
社員のみなさんがすごく優秀なのは確かだし、
先輩方の時代なら、長く居続けられる安定した良い会社なのだろうと思う。
バブルで経費を何十万円も使っても許された楽しい時代もあったみたいだし。
ただ、今の時代だと、
たとえ大手企業であったとしても、
自分の定年まで会社が存続するかも分からない。
先輩方の時代の様な恩恵を受けられるとも限らない。
大手企業に対して僕が抱いていた幻想は消えた。
「自分がいるべき場所ではない」
8ヶ月で辞めた。
スタートアップ企業時代〜思い入れがあり成長できる環境でも自信が持てずにうつ病
次に入った会社は、今いる会社。
創業間もないスタートアップ企業の創業メンバーとして入社。
元々会社化する前の事業立ち上げ期に関わっていたので、
ある程度の思い入れがあった。
大手企業に対する幻想も消滅した今、
今後も会社員として生きていくのなら、
伸びていくことがわかっている会社で、
かつ自分が思い入れのある新しい事業に創業期から関わり、
中心となって世の中に広めていける会社がいいと思った。
そう考えると、
「自分がいるべきなのはこの会社しかない」
「今の自分のポジションを自分以外の誰かが担っている状況を想像するのは嫌だ」
と思った。
そして、
自分を成長させられる環境に身を置いて成長すれば、
自信が持てると思った。
僕の業務のメインは営業ですが、
社員数は一桁で人手が少ないので、
営業系、企画系、システム系、顧客サポート系、事務管理系、
現場系、品質管理系(トラブル対応)系など
幅広く業務をしています。
まだ社内の仕組みも整っていないので整理したり、
業務によっては外注化に向けて外注先の教育などもしています。
一人当たりの仕事量が多いので、
平日土日祝日、昼夜問わず仕事漬けの生活ですが、
間違いなく自分を成長させられる環境です。
「毎日朝から晩までずっと仕事をしているから、
自分の自由な時間はないけれど、
この仕事なら苦ではないんだよね」
なんて周りに言っていました。
実際、会社も自分も順調に成長していた。
サービスは目に見えて広まっているし、
さらに広まることも決まっていた。
CMなどの広告も打ち、反響も大きかった。
だけれど。。。
入社して1年半くらいした頃。
心療内科でうつ病と診断された。
心療内科に行く前の状態は、
心身ともに言うことをきかなくて、
朝ベッドから出られなくなって、
会社の携帯やパソコンに近づくことが出来なくなって、
会社の人からの電話にも出られなくなってしまっていた。
うつ病と診断された後は、休職となった。
外出したり、家の中での作業がひと段落すると、
不安が押し寄せて胸が苦しくなったり悲しくなって泣きそうになったりする。
実は、
その5ヶ月前には帯状疱疹になって、
8ヶ月前くらいには、一時的に片耳の聞こえが悪くなった。
自分でも気が付かないうちに、
色々なストレスが積み重なっていたみたいです。
明らかに心身ともに悲鳴をあげてしまっている。
誰かが言った
「自信がないからだよ」
そうかもしれない。
確かに成長している実感はある。
だけど。。。
僕はずっと「自信」を追い求めて生きてきた。
自分を成長させられる環境にいれば「自信」が手に入ると思っていた。
でも、違った。
重要なのは、
成長させられる環境か否かではなくて、
自分が本当にやりたいと思って自分の意思で挑戦しているかどうかだった。
今の仕事は、思い入れのある仕事といえばそうだから、
自分がやりたいことだと思っていたけれど、
それは、数ある世の中の仕事の中で取捨選択すると、消去法すると、
相対的にみると、思い入れがあるということ。
つまり、自分が本当にやりたいと思ったことではなかったのです。
自分を騙し続けることは、もうやめないといけないと思った。
高校生活で学んだはずの
「自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦した時に
自信を持てて、
結果、人生が楽しくなっていくんだ」
でも。。
「そもそも自分はどんな人生を生きたいんだっけ?」
・家族との時間を大事にしたい。
・好きな場所で生活したい。
・愛のある人でいたい。
・好きなことを思うがままにやりたい。
そんな自由を手に入れたい。
様々な規模の会社で働いてきた上で、
会社員だと自分の自由を持つことは難しいんだと思っている。
・平日土日祝日問わず四六時中仕事
・休日に急に呼び出される
・休日に連絡が来てすぐに返事をしないと怒られる
・子供の卒業式の日だからと休みを取っているのに、
朝からあの仕事を至急やってくれと連絡が来る
・上司に休みの許可を得て家族旅行を予約したのに、
直前になって許可が撤回されて
旅行に行けなくなったことに加えてキャンセル代も自己負担
・子供の出産に立ち会えない
・病気療養中なのに電話に出ないと怒られる
・ウソをつくことを求められる
・地元のバンドを辞めて転勤の指示に従わざるを得ない
・やりたかった業務とは違う業務への異動の指示に従わざるを得ない
・周りの人のウソや責任逃れに振り回される
・方針がコロコロ変わって振り回される
・朝目覚めた瞬間や夜寝る直前に仕事のことで思いついたりと、
ずっと仕事のことが頭から離れない。
いくらお給料をもらっているとはいえ、
人生って、ここまで仕事中心じゃないといけないんでしょうか。
これだと奴隷ですよね。
自分の人生を売っている感じがします。
自分の人生を、こんな生活の繰り返しで終えたくないです。
「自分の人生を自分のために生きたい」
これが、
今の僕の、本当にやりたいと思うこと。
それを実現するためには、
会社外でも自分で稼げる力を身につける必要があると感じました。
ネットビジネスとの出会い
会社外でも自分で稼げる力を身につける方法、
どの分野がいいか色々と探し検討しました。
資格取得、英会話、プログラミングやWebライターなども検討しましたが、
僕が望んでいるものではありませんでした。
色々と調べていく中で方向性が定まってきました。
「不労所得で自分で稼げる力を身につけることが、
お金と時間の自由を手に入れる唯一の手段なのかもしれない」
「初期投資もあまりかけたくない」
この方向性に適うものとして、
まず見つけたのが、
ブログアフィリエイトでした。
ブログアフィリエイト。
初期投資がほとんどなくて、
作ったブログが資産となり、不労所得を得られるらしい。
20万円くらいの講座に申し込んで、学びと実践を始めた。
だけど、
「この方法だとSEOに依存するからGoogleの動向に振り回されるらしい、
ということは作業をし続けないといけないから、
実際は不労所得ではないのではないか」
と不安を感じた。
そんな時にYoutubeを見ていたら広告動画が流れてきた。
慶應大学在学中にネットビジネスを始めて
年収3億円になった実業家の方の話。
・20歳で仕組みを構築したら9ヶ月後に不労所得で月収300万
・働かなくても収入が入ってくるし、むしろ増え続ける
・21歳でセミリタイヤしたけれど暇すぎたから仕事を再開
・ネットビジネスの知識は
法人向けのコンサルなどにも応用がきくから
売上が何倍にも増える
・慶應大学に3ヶ月で合格する塾を経営
・映画の制作
・アイドルのプロデュース
などなど。
「なんだか異次元過ぎる話だけれど本当かな?
ネットビジネスってウソついたり悪いことやってそうなイメージだし」
現実味がなさ過ぎて、疑いと怪しさを感じつつ、
とりあえずメルマガ登録だけはしてみた。
メールが届いても読まない日々が続いたけれど。
数ヶ月経って、
またYoutubeを見ていたら広告動画が流れてきた。
なんだか見たことのあるテイストだなと思ったら、
年収3億円の実業家の方の弟子で、
月収400万円の起業家の方の動画だった。
・ネットビジネスを始めて
10ヶ月目で月収100万円、13ヶ月目で200万円超え
とのこと。
(ゼロから始めて1年ちょっとで月収200万円に到達するなんて信じられないな)
(しかも100万円到達してからわずか3ヶ月で、倍の200万円到達ってどういうことだろう)
特典をもらえるということだったのもあり、
メルマガに登録してみた。
特典の電子書籍を読み進めていくと、
「なんだか、現実味はないけれど、
理屈は理解できる気がするし、再現性ありそうだな」
と思えてきた。
そして、
・自分で労働する必要がなく、不労所得になる
・24時間を自由に使える
・人間関係のストレスがフリー
ということだった。
「これは僕が求めているものかもしれない」
と思った。
こうして、
自動収益化の仕組みという
ネットビジネスと出会った。
「ネットビジネスなら、
自分で稼げる力を身につけて、
お金と時間の自由を手に入れられる!
自分の人生を自分のために生きられる!」
と思い、
僕は、ネットビジネスの世界に飛び込みました。
今は、
年収3億円の実業家の方の弟子で
月収400万円の起業家の方から
直接ネットビジネスを学んでいます。
2020年の7月から、僕はネットビジネスを始めました。
自動収益化の仕組みを学び始めて、
約1ヶ月で6万5千円の収益が出ました。
ネットビジネスで稼ぐための
正しい知識と正しいやり方に出会えたので、
あとはまっしぐらに、
学びと実践を繰り返して
収益を上げていけばいい状態です。
ネットビジネスで月200万円くらい稼ぐまでは才能は不要で、
いかに正しい知識を身につけて、いかに正しいやり方で実践するか、
そして結果が出るまで諦めずに続けられるかが重要です。
続ければ結果が出るとわかっているので、
今とても楽しく学びと実践を進められています。
自分がお金と時間の自由を手に入れられる
だけではなくて、
お客さんに価値を提供して、
お客さんが幸せになるためのお手伝いができる。
素晴らしいですよね。
(もっと早く知りたかった・・・)
「なんのために生きているんだろう」
って閉塞感のあった人生に
希望を見出せて嬉しいです。
人は、自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦した時に
自信を持てて、
結果、人生が楽しくなっていくと思っています。
—–りょうの物語終わり—–
あらためて、ブログのコンセプトのおさらい
僕のブログのコンセプトは、
人が自分の人生を自分のために生きられるきっかけを作ること。
「自分の人生を自分のために生きたい」
そのために必要なのは、
時間を切り売りして労働しなくても、
不労所得で自動的にいつでも
お金を稼ぐことができる仕組みを構築すること。
仕組みを構築できれば、
好きなことに時間も使えて、
体調管理も適切にできて、
心に余裕も生まれて、
人にも優しくなれます。
自分の人生を自分のために生きられます。
ここまでお話ししてきた通り、
人は、自分が本当にやりたいと思ったことに
自分の意思で挑戦した時に
自信を持てて、
結果、人生が楽しくなっていくと思っています。
ネットビジネスは、
正しい知識と正しいやり方に出会い、
学びと実践を繰り返していけば、
結果はついてきます。
才能は不要です。
僕は、自分の人生に希望を感じられず、何のために生きているんだろう、
この先この生活が何十年も続くと思うと苦しいなと閉塞感を感じて過ごしていました。
そんな時にネットビジネスと出会って、自分の人生に希望を見出せました。
人生捨てたもんじゃないなと思えました。
僕と同じ様に、生きる意味を見出せずにもがいている人たちに、
希望を届けたいと思いました。
みんなが幸せな方が、自分もみんなも幸せを感じられると思います。
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